ダルエスサラーム便り

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タンザニアからの手紙 No.15

幸せのかたち~ブギリ村にて



金山 麻美(かなやまあさみ)



ドドマ、ムナセ村  ドドマは乾いていた。
今にもひび割れそうな茶色の大地が広がりところどころに乾いた潅木、または葉をすっかり落としたバオバブがぽつんぽつんとそそり立つ。村の泥壁の家は細い長方形をしている。屋根に傾斜がないのだ。これも雨が少ないからなのだろう。
いくら今が乾季とはいえ、あまりに厳しい景色だ。

 強い風が吹くたびに土埃が舞い上がる。ミニ砂嵐と言ってもよいくらいだ。目を開けていられない。持参したカンガをマフラー代わりにして顔の周りに巻きつけ、風に背を向けた。
ここはタンザニアの中央部ドドマ州のブギリ村だ。

 赤ん坊はともかく、村の子どもや少年少女たちは、ほっそりしている。私は娘と一緒に村に行ったのだけど、13歳の彼女よりも年上の少女でも概して皆、娘より背が低く、細い。娘は身長160㎝程あり、年齢にしては大きいほうではあるうえに、肉つきもよく、村の子どもたちの前に出ると、(娘の摂っている)栄養がよすぎてごめんなさい、という気分になる。
村の子どもたちだってけっしていつもお腹をすかせている訳ではない。元気だし、好奇心満々で、大勢の子どもの前で、空手ごっこをこちらから仕掛けたりすると、大騒ぎになった。

家の前の子どもたち  夜はブギリ村から車で20分ほどのムナセ村に泊めてもらった。道中、近隣の村では共同水道から水が出ているのを確認したので、安心していたのに、ムナセ村では断水だと言われてしまった。貯め水を使っているという。1晩だけの滞在だったので、水浴びもせず、翌朝、両手いっぱいの顔を洗う水をもらうだけですませた。トイレ後の手洗いは持参したミネラルウォーターをちびちび使った。今度来る時はダルエスサラームから水をポリタンクに入れて持って来ようかと思った。

   電気も通っていない。
 わたしは客人だったので、夕方は何もする事がなく、ただ暮れていくに身を任せていた。夜色にだんだんと自分も染まっていくのは、悪い気分ではない。薄暗い家の中に入っても、村の子どもたちが珍客を窓から覗き見しようとしているのが、シルエットでわかる。子どもたちの甲高い声が蛍のおしりのように暗闇の中にちょっとだけ光る。

   夜の空は、瞬く天の川までくっきりと映し出していた。ひしめく星たちの飾られた大きな天蓋。それでも月が出ていないので、一歩外に出ると真っ暗で足元がおぼつかない。
 ランプのともった向こう側の家では、ほとんど家具のない部屋の中が照らし出されていた。

新郎新婦  今回は、民族音楽グループCHIBITEの一員タブ・ザウォセの結婚式に出席するためにブギリ村へやってきた。彼女自身はインド洋沿いの町バガモヨ生まれなのだが、両親はブギリ村の出身だ。親戚の多くが今も村で生活を営んでいる。農業のかたわら、牛や山羊の放牧を生業としている家も多い。

 タブの父親はフクゥエ・ザウォセというタンザニアを代表するような民族音楽家だった。 2003年末に他界した。タブの母親エリカも今はタブと一緒にバガモヨに住んでいるが、今回は病気のために娘の晴れ姿(ウエディングドレス姿)を見られなかった。
 その両親の代理を務めたのが、タブの父親の兄弟の一番上の兄マルコさんとメリーナさん夫婦であった。今もブギリ村で農業を営みながら生活している。
フクウェ・ザウォセは68歳で亡くなったということなので、マルコさんは少なく見積もっても70歳代半ばということになる。なかには90歳にはなっているだろうと言う村人もいたが、それはちょっと…。でも誰も実際の年齢を知らない。
 ふたりとも顔はしわしわだけれども、しっかりした足取りで大地を踏みしめるように歩いていた。マルコさんがイリンバ(親指ピアノ)を鳴らしながら散歩しているところも見たことがある。
 結婚式でも顔を赤らめながらお祝いの言葉を述べるところなど、ほほえましく、聞いているわたしたちもほっこりした気分になる。

マルコ、メリーナ夫妻  夫婦そろって仲良く老いていく。子供たちも立派に育てた。
一番上の息子のダハニは首都のダルエスサラームで結婚し、音楽活動の傍ら、公務員の仕事を勤め上げた。すでに定年退職し、子供たちと今はバガモヨに住み、CHIBITEに参加している。
厳しい環境。電気もなく、水の確保も難しい、乾いた大地の上。でも、大きな病気もせず、夫婦で年老いていく。それで十分じゃないか。ほかに何がいるのだろう?タンザニアのみならず世界を幅広く音楽活動で飛び回っていた弟は痛風や糖尿病などたくさんの病気持ちとなり、惜しまれながらも逝ってしまった。
マルコさんとメリーナさん夫妻は村にいたからこそ、上手に歳を取っていけたのではないか。もちろん、村の生活がそんなに甘くないであろうとは思う。このふたりには生き残っていける強さがあったのだとも思う。刻まれたしわの中には苦い思い出もいろいろ挟まっていることだろう。でも、わたしはそこに「幸せ」のひとつの形を見た気がした。
子供たちは家庭を持ち、孫たちは元気に育ち、夫婦は仲良く老いていく。それだけで十分。お釣りがくるくらいだよ。あとはなにもいらない…。

  *家の前の子どもの写真は川田真弓さん撮影。後は筆者による。

                                                  (2006年10月1日)


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