タンザニアからの手紙 No.27
Sauti za Busara 2008
金山 麻美(かなやまあさみ)
今年で5回目を迎えた毎年2月に行われているザンジバルはオールドフォートの野外特設ステージで行われている音楽祭、Sauti za Busara。訳すと「知恵の音」。
今年は2月7日から10日まで。最初は土曜日に出かけて日曜日に戻ってこようと思っていたのだけど、二日目の8日に日本人初のブサラ出演者、サカキ・マンゴーが演奏するというので、中学生の娘に学校をサボらして金曜日から繰り出した。
ザンジバルをベースにする文化NGOが主催するこの音楽祭は、スワヒリ音楽の豊かさと多様性の素晴らしさを多くの人に知ってもらうために始まったそうだ。
ザンジバル、タンザニア、東アフリカの伝統、現代音楽を中心に西アフリカ、ヨーロッパ、そして今年は日本からも音楽家が参加した。
サカキ・マンゴーは大阪外国語大学のスワヒリ語科出身で故フクゥエ・ザウォセに師事したこともあるリンバ(親指ピアノ)奏者。「Limba train」というアルバムCDも出している。
今回のブサラではザウォセ家製のチリンバ(小さいリンバ)やイリンバ(大きいリンバ)やムビラ(ジンバブゥエの楽器)をアンプにつなげて響かせていた。
鉄の鍵をはじく音と混じってサワリ音のようなゴオオンブオオンという共鳴が心臓にまで響いてくる。
本来は楽器そのものの音の力で勝負するところをアンプにつなげて音を出すと言うことに関する是非はあるかと思うけれど、この場合は、プラスに働いていると感じた。
金曜日の4時35分(始まりは少し遅れた)からの公演と、条件はあまり良くなかったのだが、舞台の上で一人で演奏していたにもかかわらず、その存在感は大きく、途中からはマンゴー本人もトランス状態になったかのごとく音楽が響きだし、観客も惹きこまれていったのであった。弾きながら歌うスワヒリ語、日本語、何語か分からない歌もふしぎな感じでよかった。
その後の音楽の教育、普及活動をザンジバルで展開しているDhow Countries Music Academy(DCMA)とペンバ島のいろいろなターラブグループからの音楽家が一緒に演奏するTIBIRINZI ALL STARSというターラブバンドも面白かった。
きれいに着飾った歌手3人を含む12人編成。歌手2人は比較的若い女性。あとは年齢構成のまちまちな男性たち。中でも一番若いと思われるアラブ系の青年(20歳そこそこ?)が中央でカヌーン(琴のような楽器)を弾いていた。彼がずっとニコニコしながら演奏していて、バイオリンのおじさんやたいこのおじさんもつられて微笑むという感じで、和やかに演奏が進んでいた。その青年の笑顔がとてもかわいらしくて、娘とミーハーして騒いでいたら、着飾った歌手たちのソロが終わったあと、
なんと彼がマイクを持って歌いだしたのだ。グループのおじさんたちも「いけいけ」という感じだった。
するとどこからともなく高く掲げた右手の500シリング札や1,000シリング札のおひねりをひらひらさせ、腰を振りながら地元のおばさんらしき人たちが舞台に近づいていくではないか。歌は正直言ってそれほどうまいとは思わなかったけど、やはり「素敵な笑顔の青年」というのは万国共通でおばさん、もとい、女性たちを惹きつけるものなのだろうか。おひねりを舞台に置くと、おばさんたちはそのままゆったりと舞台の前で踊り続けていた。おばさんだけでなく、男性たちもおひねりのない人は、Busaraのパンフなどをヒラヒラさせながら舞台の前に続々と近づいていき、青年の笑顔はいっそう輝き、盛り上がっていったのであった。なんだかザンジバルらしい盛り上がり方で見ているだけでも楽しかった。
でも、舞台を見て純粋に楽しめたのはそこまでだった。暗くなってからの西アフリカ人とヨーロッパ人の混じったSeikou Keita Quartetが始まると、舞台のまん前に立つ人が増えだし、そのうちに会場の比較的前のほうに座っていたわたしたちには舞台が全く見えなくなってしまった。特に背の高い白人たちがずんずん前に来るので閉口した。わたしたちのまん前に立ちはだかったモデルのようにタッパのある金髪女性にはさすがに「見えないんですけど」って言ってみたけど、もうキリがない。そういえば去年のCHIBITEのときもそうだった、と思い出した。
なんで自分のことしか考えない人が多いのだろう‥。
しかたないから目をつぶって響いてくる美しいコラ(西アフリカのひょうたんを使った弦楽器)の音色に耳を澄ました。
(2008年2月15日)
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