タンザニアからの手紙 No.32
ムコバに夢中
金山 麻美(かなやまあさみ)

現役愛用中ムコバ
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ムコバ(mkoba)というかごバッグがある。軽くて四角くてしっかりしていて持ちやすく、素朴な感じだが、デザインも豊富で、セカンドバッグが必要なときにはいつも使っている。もう何代目となるだろう。今使っているのは染めた部分のないプレーンな色で取っ手が長めなので、肩からもかけられるすぐれものである。
外に持ち歩くのにはちょっとくたびれた感じがしてきたものも、ほとんど捨てずに家にある。まだ整理していない写真を入れたり、再使用をもくろんでいる使用済みの封筒たちを入れたりと部屋の中に鎮座ましましている。
そのうえ、まだ使っていない新品のムコバのストックまである。こちらはカラフルに染めた部分のある バッグたち。でも、派手な感じはしないでしょう。
なんでストックまであるかというと、このバッグはダルエスサラームというか大陸側では売っているのを見かけたことがないからなのである。ザンジバルはウングジャ島に出かけたときにまとめて買ってきているのだ。最近は観光地としてとてもにぎわっているウングジャ島でも、みやげ物屋に売っているのは高いし種類も少ないので買わない。市場に行くと胸がときめくようなムコバがけっこう置いてあり、わくわくしながらいくつか買ってくる。1年位前にひとつ2,000シリングくらいで買ったような記憶があるが、定かではない。
今回ザンジバルのもう一つの島、ペンバ島へ遺跡が目当ての夫と行ってきた。なんと15年ぶりである。観光開発の進むウングジャ島にくらべると眠ったような島であった。ペンバ島の大きな町のひとつのウェテも停電がひどく、いわゆるレストランはひとつしかなく(ムシカキなどの屋台はあれども)ホテルも数えるほどで、観光客らしきものたちは同じホテルに泊まっていた若い白人カップルとインド人家族(たぶんダルエスサラーム在住)だけであった。女性はほとんど全員がスカーフを巻いていて体全体と足首まで覆うゆったりとしたコートのようなものを纏っている。持っていった七分丈のパンツをはくのもはばかられるような気分だったので、はかなかった。くるぶしまでのゆったり目のパンツとロングスカートで通した。スカーフはしなかったけど。お酒もホテルにもレストランにも置いていない。

ストックムコバ
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停電の夜、ほとんど車の通らない幹線道路沿いをぶらつく人たちがたくさんいた。路上で売っている小さい器にいれたアラビックコーヒーを飲みながら議論にふける男たちはムスリムの帽子コフィアをかぶっている人たちが多かった。小さい子どもたちを連れた親たちは、ジェネレーターで明かりのついた洋服屋を覗いている。中学生くらいの男の子たちがたむろって歩いていく。停電の中、ぽっかりと明かりのついている2階建ての建物の周りがにぎわっているので、何かと思ったら、シネマだった。少し古いハリウッド映画の冒険物をやっているようだった。ジェネレーターで上映しているのだろう。土曜日だったから。
派手なスパンコールの付いたような衣装を着た若い女性たちが同じ方向に何人も歩いて行く。色とりどりだったけど皆、スカーフをして衣装はくるぶしまで届くものを着ていた。でも、しっかりと体の線のわかるワンピースを着ている人もいて、「いいんかいな」と思ったりもした。うきうきした感じで楽しそうだったけどね。彼女らはどこへ行くのかとレストランのお姉ちゃんに尋ねたら「結婚式があるのよ」とのことだった。
そんな夜の雰囲気は一昔前の活動写真を見ているようでもあり、タイムマシンに乗ったのか、それとも異国に来たのかと思えるようでもあった。ここもタンザニアなのに。
緑が豊かで海はきれい。牛もたくさんいる。観光客がとても少ないから砂浜もあらされていない。プラスチックゴミも少ない。でも特別に何かを求めてきた人でない限り、よそ者にはちょっと退屈でもある。お酒も飲めないし。
そんなペンバで始終わたしをときめかせてくれたのは、ムコバ!!なのであった。
ダルエスサラームから船で行く予定だったのだが、船が壊れたため、飛行機でペンバへ向かった。チャケチャケというペンバ一のにぎやかな町からダラダラ(乗り合いバス)でウェテに向かった。バスの出発を待っている間、周りの人たちを見ていると、老若男女問わず、ムコバを持っている人のなんと多いことよ。ウングジャ島でもこんな光景は目にしたことはなかった。自転車には必ずと言っていいほど、ムコバがぶら下がっている。それぞれ色合いが違ってかわいらしいのだ。これはいいところに来た、ムコバ天国だ、いいムコバが必ず手に入るはずだ、と心は弾んだ。ウキウキだ。
翌日、車でウェテから島の北にあるチェワカ遺跡に夫と向かった。道すがら、どこでムコバが手に入るだろうと店に通りかかるたびに注意深く商品をながめたが、ムコバは一向に見かけない。遺跡を巡るおおよそ4時間の車の旅の間にムコバを吊るしてある店は一か所しか見かけなかった。それもムコバはたった一つしかなかったのだ。ここでは、あんなに大勢の人が愛用しているというのに、どういうことだろう。
その日は日曜日だったせいかウェテの町の店はほとんどが閉まっていた。翌日、月曜日の午前中、すこしずつ店が開き始めた。雑貨屋、服屋、工具屋などのこじんまりとした店たちである。やはりムコバは見かけない。一箇所だけ、小さなトマトやジャガイモが店先に並んでいる掘っ立て小屋のような店でムコバが紐に吊されているのを見かけた。まだ新しいようだ。店のおじいさんに「おはようございます。これが欲しいのだけど、いくらですか?」と、スワヒリ語で尋ねたら、
「それは、売り物じゃないんだよ。でも、あんた、欲しいんだったら別のを用意しておくよ。いつころまた来れるかね?」という返事だった。
残念ながらその後、チャケチャケに向かう予定だったので、商談は成立せず。念のため、いくらくらいなのかと訊いたら4,000シリングということだった。思っていたより高い。諸物価高騰のせいだろうか。

おじさんと花柄ムコバ
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チャケチャケには繁華街があった。服屋、靴屋、金物屋、食器屋、薬屋、化粧品屋などが路地に並んでいて、地元の買い物客も多かった。その裏手には野菜市場もある。しかし、やはりムコバは売ってない。
服屋の店先に、真新しいムコバが一つしっかり紐で縛って吊るされてあったので、これこそ!と思って店の兄ちゃんに訊いてみた。そうしたら隣にいたカンズにコフィア(ムスリム男性の正装)のおじさんに「それは、わたしの私物だよ、売り物じゃないんだ。欲しいのなら、あした、別のを持ってくるよ?」とまた言われてしまう。売り物じゃないならなんであんなにしっかりと縛り付けるようにしてぶら下げてあるのだ?
市場に行ったらあるといわれ、野菜市場に行ってみる。店先にどうみても新品とは思えないムコバがぶら下がっている店がいくつかある。なるほど、私物のムコバをああやって吊るしておく習慣があるのだな。見せびらかしたいのかなあ。
市場の奥に進むと一箇所だけムコバを置いてある店があった。でも、二つしかなかった。質は悪くはなさそうだ。値段を聞くと「ひとつ5,000シリングだ」と言われる。高いじゃん。負けてよ。と言うと、4,000シリングにまでは下がった。まだ翌日もチャケチャケに泊まる予定だったので、ひとまず買わずおく。もっと安くていいのが見つかるかもしれないし。
チャケチャケにある博物館にも、庶民のお道具コーナーにムコバが飾ってあり、「男の人が家族のために必要なものを運ぶのに使う」というような解説が付いていた。町や村行く人を見ていると、ごっつい男の人がとても愛らしいムコバを持っているシーンを見かけることがよくあった。ムスリムは男性が日常の買い物をすることが多いそうだから、その影響なんだろうか。
翌日、火曜日はニエレレデー(初代大統領の命日)の祝日だった。チャケチャケで知り合った若い旅行代理店主Oのところで運転手つきの車を頼んで、町の南東にある遺跡に向かうことに。Oも暇なのか、車に乗り込んできた。車の中ではラジオにあわせて歌いっぱなしのノリのいい青年だ。15世紀に建てられたというプジニの遺跡ではそれなりに解説もしてくれたらしい。(わたしは眠くなり、遺跡付近ではとろとろ歩いていたので聞き逃した)

ムコバ作成中
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帰り道、泥壁の民家がいくつか建っている村を通りかかったとき、Oが車を停めた。家の庭先においてあったキヌに目をつけたらしい。(キヌとはスワヒリ語で臼のことなのだ、面白いでしょう。トウモロコシなど穀物を粉にするときなどに使う。日本のもののようにどっしりとしたのではなく、細長いタイプが多い)
大小のキヌが売り物として置いてあったのだ。大きいほうが欲しいらしく、値段交渉が難航しているようだ。車の中で待っているのは暑いので、家の軒先の日陰で待つことにした。すると、隣の家の軒先にひいてあるござの上には、赤ちゃんにおかゆを食べさせているお母さんとなにやら草を編んでいるおばあさんがいた。もしかして‥と思ったわたしはおばあさんのそばへ小走りで近づいた。
「こんにちは。何を作っているんですか?」
「Mkoba wa Ukili(やしの葉のムコバ)よ。ほら、ここにお座りよ」
製作シーンに出会えるなんて感激。おばあさんによると、ムコバにもいろいろ種類があり、わたしの求めているのは、やしの葉ムコバなのだそうだ。ここでこそ、手に入るぞ!!と意気込んだら、
「いつもなら新品のムコバがあるんだけど、あいにく今日は家のものが全部持って売りにいってしまってねえ‥」
ということで、がっくり‥‥。せめて、写真を撮らせてくれますか、とお願いしたら、顔を撮らなければいいわ、ということだったので、この写真に。
なかなか難航している。Oは値段交渉が成立してキヌを手に入れたようだ。いいなあ、Oは。「わたしはやしの葉ムコバが欲しいのだ」とOに訴えると、「よし、探そう」と頼もしい。
また途中の民家の前で車を停めると、Oは、その家の主婦らしき人にムコバがあるかと訊いている。彼女はいったん家に入ると、紫のラインがなかなかすてきなムコバを1つ持って戻ってきた。悪くないかも。「いくら?」と訊くと「5,000シリング」だと。4,000シリングまで下がったが、ムコバの中を覗き込んでいたOが、「これは、使ったあとがあるじゃないか。中古のムコバを高く売るなよ」と、のたまい、交渉決裂となった。
「また探すから」とOは言っていたが、そのあとわたしはまた眠くなり、Oも夫に仕事の話を持ちかけるのに夢中で、ムコバのことは忘れてしまったらしい。

ムコバ!!
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仕方がないので、チャケチャケにもどってから昨日の市場に行ってみたが、祝日だったせいか、閑散としていて、ムコバ屋のおやじもムコバも見かけることができなかった。
わたしの短い調査では、判明しなかったが、どうも表にでない裏の販売ルートがあるようだ。闇組織なのか??コミュニティの中で作って、その周囲で売り買いするのだと言っているひともいた。
ウェテのバス停でバスを待っているとき、すぐそばの店先で丸太を切っているおじいさんがいた。何のために切っているかはわからなかったが、丸太の手前に置かれたムコバに目が吸い付いた。きっとおじいさんのムコバだ。もう底のほうが破けてきてぼろぼろになったものをまだ大事に使っているのだ、と思ったら胸が熱くなってきた。まるでわたしがムコバになった気分。いつまでも使ってくれてありがとう。ムコバ冥利につきるよね。
そんなに入れ込んだにもかかわらず、ムコバの神様はわたしには微笑まなかった。立派な失恋である。手ぶらでダルエスサラームに戻るのだ。とほほ。いや、あきらめたわけではない、まだわたしの片思いは続いているのだから、次回があれば、成就するかもしれぬ、という淡い期待を持って、ペンバ島を飛び立った。
※その後の情報で、ザンジバルではプラスチックバッグ(いわゆるビニール袋)を持って町を歩いていると罰金2万シリングを徴収されるという決まりができたそうな。(大陸側ではそれはまだない)だからムコバを愛用者が余計増えたのではという情報もあり。
(2008年11月1日)
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ペンバで見かけたムコバのある風景







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