ダルエスサラーム便り

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タンザニアからの手紙 No.37

カンガをめぐる物語ー番外編 「ブルカをめぐる物語」



金山 麻美(かなやまあさみ)



 

ザンジバルにて
 フランスのサルコジ大統領は、今年の6月22日の国会演説で「ブルカは宗教の象徴ではなく、抑圧のしるしだ。フランスでは歓迎されない」と、述べたそうだ。また、フランスの超党派の国会議員65人も「国是の世俗主義と女性の人権を侵害している」として、ムスリムの女性たちが体を覆うブルカの国内での着用禁止を目指し国会に調査委員会設置を求めているということであった。
 ヨーロッパの多くの国でイスラム人口は増えているらしいが、フランスは欧州最大(推定500万人)といわれている。

 フランスといえば思い出されるのが2004年に施行された公立学校でのムスリムの女生徒のスカーフ着用禁止の法律だ。これは、ラシイテ(憲法で明記された非宗教性:世俗性の原則)に基づいた法案で「学校における非宗教性に関する法律」という名称※で、スカーフだけを禁止するのではなく、他の宗教的シンボル、たとえばユダヤ教徒の帽子ヤムルカ、キリスト教の大きな十字架なども禁じるということであった。でも、目立たない小さな十字架やバッジは認められるとしたから、この辺ではダブルスタンダードを感じるんだけど。(当時の大統領はシラクであった)

 上記の情報を耳にした時も「信じらんなーい」と思ったものだ。

 キリスト教徒の十字架と違ってムスリム女性のスカーフは「家の外に出るときは常に身に着けるもの」なのである。ムスリム女性でもスカーフをつけない人もいるから、全員が全員ではないけど、常に身に着けている者がそれを公の場で取らなければならないということは、彼女のアイデンティティの剥奪、そして「隠さなければいけない部分」の覆いを無理やり引き剥がされるということはセクシャルハラスメントにもつながると思う。(そいういう文脈では、シーク教徒のターバンも取らなければいけないとなると大変だと思う。ターバンと取ったとしても、彼らの生まれてから一度も切らないという髪の毛も宗教的シンボルなのでは?そうしたらラスタのドレッドロックはどうなるのだ?体から簡単に取り去ることのできない宗教的シンボルはどうするんだろう?)


娘の学校の制服たち
 わたしの娘の通っている学校の設立者はムスリムだが、学校全体には宗教色はなく、ムスリム、クリスチャン、ヒンドゥーなどいろいろな宗教の子どもたちがいる。ムスリムの女生徒のうちには、ある年齢になるとスカーフを巻いて、長袖、長ズボンをはくようになるものもいるが、もちろんそれはOKで、そういった女生徒用の制服も決まっている。ムスリムでもスカーフを被らない者もいるし、断食月のときだけ被るという者もいる。
 だからといってスカーフを被っている者たちを特殊視することもなく、娘の親友4人組は、ムスリム、クリスチャン、ヒンドゥーそして無宗教(または八百万の神?)というよりどりみどり?の取り合わせ。ほかの子たちも上手に混じりあって過ごしている。(余談だけど、娘は学校で唯一の日本人であるが、からかわれたことはあってもいじめられたことはない)娘も友だちに教わって上手に髪を隠すスカーフの巻き方を知っている。娘は、スカーフは巻かないけれど。

 公立学校における宗教的シンボルの禁止ということについては、下記の意見にとてもうなずけるものがあった。(世俗性の要求とはつまり公の場における宗教的中立性のこと、この場合は、宗教的シンボル禁止のこと)

 「世俗性の要求とは、学校の生徒たちに向けられるべきものではなく、公共の教育機関に対して、教育の担い手にたいして向けられるべき要求だろう。学校の入り口で、宗教的な〈印〉を根拠に、教育の受益者が排除されるのは、どうみても本末顛倒にみえてしかたがない。」哲学クロニクル第429号より引用 http://www.melma.com/backnumber_26258_1844492/

 さて、ブルカである。

 ブルカとは全身を覆い、目の部分も網などで隠す衣装(アフガニスタンなどに多い)だそうだ。この場合は、イスラム女性の頭髪、手首、足首まで覆うマントのような衣装全般を指すと考えていいだろう。
 フランス在住の知人によると冒頭のフランスの動きは
  1. ラシイテを守るのは非常に大事であること。
  2. ブルカは女性差別であるし、そもそもコーランにも触れられていないこと。ムスリムの中の一部の過激派による押し付けである。
という考えから生まれているということであった。割とリベラルな人でもブルカ着用禁止に関しては賛成している人が多いそうだ。
 また、6月23日の西日本新聞の記事によると
「穏健派イスラム教徒でつくるパリ・大モスクの代表も『ブルカはコーランにも書かれていない。本人の意思で着用していても、女性屈従のしるし』と着用禁止に賛成する。」ということであった。

 (ラシイテとコーランのことは置いておくとして)なんだか上記はすごく直線的なものの見方をしている気がする。白でなければ黒、味方でなければ敵といったような。

 果たしてブルカ=女性抑圧といえるのだろうか。


ペンバ島の小学生たち
検証1)
   先日ダルエスサラーム空港に知人を迎えに行ったときのことである。知人の乗っていた飛行機からはキリスト教の尼僧がたくさん降りてきた。「東アフリカ尼僧会議」でもあるのかしらんと思うほど。まあ、10人くらいだけど。

 彼女たちは誰もがきっちりと髪の毛を隠すグレーのスカーフをして、長袖でふくらはぎをかくすぐらいの長さの体の線の出ないゆったりとしたマントのようなワンピースを着ていた。ブルカのほうが丈が長いし、顔に覆いはない(ブルカといっても顔を覆っていないヨーロッパのムスリムも多いはず)が、隠している部分はほぼ一緒じゃないかと思った。子どものような疑問をあえて口にすれば、 「尼さんの服装も、本人の意思で着用しているとしても女性抑圧になるんじゃないの?」どうなんだろう?

 もう一つ思ったのは、尼さんにとっては頭髪も「性的なもの」であるということ。だから隠すのだ。神に仕える身としては女性性を封じるということなのだろう。
 スカーフを学校に入るときに強制的に脱がされるということは、みんなが皆ではないと思うけれど、羞恥心でいっぱいになるムスリムの女生徒もいたはずだ。

 宗教とは関係ないけれど、わたしは次のような連想をしてしまう。たとえば「ブラジャーは、本人の意思で着用していても、女性抑圧のしるしだから禁止すべき」とか、「泳ぐ時に胸を覆う水着を着けるのは女性屈従であるから、本人の意思で着用していても、禁止すべき、トップレスにせよ!」といわれることとスカーフを剥奪されることは「隠すべき性的部分を露にする」という意味では、そんなに変わらないんじゃないかと。そしたらどうする?

検証2)
 カンガつながりで、ザンジバルの近現代史の本Laura Fair「Pastimes & Politics」Culture, Community, and Identity in Post-abolition Urban Zanzibar 1890~1945の服装について描かれている部分(Chapter2.Dressing Up)を読んでみた。


ブイブイ「Pastimes & Politics」より
   19世紀にオマーンから来たアラブ人たちが仕切ったクローブ(丁子)のプランテーションは、内陸から運ばれてきた奴隷たちの労働力を必要とした。ザンジバルは、スワヒリ都市国家のひとつとして栄え、アラブの文化、ファッションなどの中心となり、まるでパリのようだと言われていた。
 奴隷たちは特に頭を覆うこと、靴を履くことを禁止され、その服装は、粗雑で安っぽい布を一枚巻いただけ、ということが多かったということだ。余談だけど、そんな中でも奴隷の女たちは布を地元で取れる染料で染め、男たちとの差別化を図っていたというからいじらしい。
 1897年にザンジバルの奴隷制が廃止されると、元奴隷女性たちは競うようにカンガやブイブイなど全身を覆うアラブ人女性たちのような服装をするようになったという。カンガ、ブイブイにかかわらずヴェイル(=頭や体を覆うもの)を受け入れることは、元奴隷女性たちにとっては「力をつける」ことであった。「自由人になる」ということなのであった。
 カンガについては今までの「カンガを巡る物語」で見てきたので、ここではブイブイにまつわる物語を見てみよう。

 ブイブイとは頭から足までを覆おう黒いマントのようなもの。ブイブイはスワヒリ語で「蜘蛛」の意味である。それを纏った姿が蜘蛛のようであるところから来たと言われている。「このブイブイで頭から足元までをすっぽり覆えば、敬虔なムスリムと見なされる」(富永智津子著「ザンジバルの笛」未来社より)
 つまり、ブルカと同様な服装である。
 ブイブイを身に着けることは敬虔なムスリムと見なされること以外に他者から認められ、大人の女性としての尊敬をうけること(自己尊厳)、自分を美しく誇らしく感じること(自己覚醒)につながった。

「奴隷制廃止後に生まれた子どもたちに元奴隷の母親は、子どもたちの自由なアイデンティティの目に見える説明として、子どもたちがその年齢に達したときにブイブイを与えた」(「Pastimes & Politics」より)


グビグビ「Pastimes & Politics」より
 また、ブイブイを身に着ければ、その下の服装はわからなくなる、つまり階級や貧富の差を覆い隠すことができるのであった。
 その後、1950年代から60年代の独立前までグビグビ(ghubighubi)という顔までベールで隠す衣装が流行ったことがあった。これを大勢の女性が身に着ければ一見誰が誰やら見分けがつかなくなるので、「愛人との逢引」「酒場に入る」「招かれないパーティに入り込む」なんてことが親や夫に知られずにできたのだ という記述も「Pastimes & Politics」にあった。

   ムスリム女性のヴェイル、スカーフ、マントが「女性抑圧」とは真逆の意味合いを持っているときもあったのだ。


カイロの地下鉄の女性専用車両
検証3)
 2007年にエジプトに行ったときのこと、カイロやルクソールなどの都市で見かけたエジプト女性のうち90パーセント強はスカーフをしていた。女性専用車両に乗る機会があったけど、車両の中は、色とりどりのスカーフで、花畑のようであった。
服装は長袖で、足首まで隠すということは守っていたけれど、体にぴったりとしたセーターとジーンズという服装の若い女性も結構見かけたし、腕組んでデートしている若いカップルもいた。スカーフは習慣かつおしゃれの一部のように見えて、それで彼女たちが抑圧されているとは思えず、かえってスカーフをしていないわたしのほうが変かも?と思えたぐらいだった。
 でも、日本人女性たちって髪型で顔型をカバーしている人も結構多いから髪を全部覆うスカーフをして小細工ができなくなるのはちょっとつらいかもね。その点、スカーフをしている人たちはヘアスタイルでのごまかしが効かない分、すがすがしいと言えるのか?

検証4)
タンザニアは音楽好きが多いから、テレビでも欧米のミュージックビデオも良く流れる。わたしがおばさんになったからかもしれないけど、特に女性歌手のビデオはほとんど同じに見えるうえに目を覆いたくなるというか、胸が悪くなる感じがする。ほとんどの女性歌手がすごい露出の多い格好をして酒場のダンサーのように腰をくねらせ、極論しちゃえば、今にも男が飛びついてきてくんないかなあって感じの媚媚のダンスをするのだ。こんなことしないとシンガーとして成り上がれないんだとしたら大変だなあ、同情しちゃうよなあと思ってしまうよ。幼い子どもや少年も見るであろうテレビでこういうものを堂々と流していていいんだろうかとまで思ってしまう。これって、本人の意思でやっていたとしても、女性抑圧なんじゃなあい、とわたしは言いたくなっちゃうけどね。綺麗な若々しくみずみずしい体を見せつけたいって気持ちもあるのかもしれないけど、ビデオの見せつけてくる意味合いは、またそれからもずれてきている気がする。

結論
 つまり「ブルカ=女性抑圧」というのは、余計なお世話!なのである。着たくない人、今まで着ていない人にも、「着なさい」と強制する場合には「女性抑圧」につながるだろう。しかし、今まで身につけていた人に「脱ぎなさい」と強要するのもやはり「抑圧」といえるのでは。
 一方的なものの見方による「強制」はおかしいということだろう。国家などがそれを強要も禁止もするべきではないのだ。ブルカの禁止にせよ、ブルカの強要にせよ。それを強いられる人々の気持ちを考えて欲しい。白と黒だけで世の中はできていないのだから。
 そして大切なのは「共生」ということだろう。お互いにお互いの宗教や文化や習慣を認め合い、尊敬しあったうえで混じりあう世の中にできないものだろうか。  

                    (2009年9月15日)


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