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タンザニアからの手紙 No.47

八塚春名『タンザニアのサンダウェ社会における環境利用と社会関係の変化』



金山 麻美(かなやまあさみ)



 八塚春名さんの『タンザニアのサンダウェ社会における環境利用と社会関係の変化』を読んだ。
 タンザニアでは珍しくクリック音を使うコイサン系の言語を持つサンダウェの人々は、ハッツアの人々とともに狩猟採集民族だと捉えられてきた。

 野生動物保護の研究がしたいとタンザニア中央部ドドマにあるサンダウェ人のファルクァ村に住み込んだ八塚さんは、実は彼らの生活基盤は農耕にあると知る。サンダウェの人々と共に暮らす中で、彼らの歴史、自然とのかかわり方や、人々のつながりかたなどを知り、考察していく。2003年から始まったそのフィールドワークをまとめたのが本著である。研究論文なので、「読み物」としては、とっつきにくい部分もある。もとよりわたしに学術的なことはよくわからない部分も多い。でも、わたしたちのこれからの「生き方」についてのヒントがたくさん詰まっていると思った。

 キーワードは「柔軟性」「多様性」「交換」。

・「降雨が不安定な半乾燥帯」に住んでいるので、干ばつに襲われることもしばしばある。なので、村内の多様な環境に合わせて雨が少なくても育つ作物であるトウジンビエと多くの雨が必要なトウモロコシを作り、危険分散を図っている。
・ほとんどの世帯の畑では、数種の作物が混作されていて、その作物選択も世帯の嗜好や畑の環境条件によって違ってくるというから、いろんな組み合わせの畑が村中にあることになる。
・その作物をテレ・クワ・テレといわれる物々交換をすることによって「それぞれの世帯が多様な作物にアクセスすることが可能に」なる。
・農耕が基盤だが、それのみに頼らず、牧畜、採集、狩猟、養蜂などの多様な生業活動を営んでいる。

 上記のようなことができるのも、彼らが自分たちの自然、土地環境を熟知していればこそだろう。そしてテレ・クワ・テレや播種や収穫時などの畑での共同作業による社会関係の維持、助け合いがあればこそ。

 近代合理主義が「我思う、ゆえに我有」で唯我独尊を目指したものであるとするなら、その対極にあるのはこの「多様性」「柔軟性」であろう。自分ひとりでは達成できないけれど、お互いに補い合うことによってうまくいく、という社会。ひとりひとり違っていて、あんたのやってることもおもしろいじゃん、という社会。「市場経済」だけに絡めとられない社会。

   陸の孤島にいたような知られざるサンダウェの人々。八塚さんも「観光業やグローバルな『先住民運動』、あるいは政府主導の開発政策などとほとんど関係なく、独自に生業を維持、展開してきた。そのようないわば『放ったらかし』の状態が、逆に、彼らの狩猟採集の文化的意義や食における重要性を維持しつつ、農耕の堅い基盤を形成することを可能にしたと考えられる」と述べている。

 行き詰まりつつある「先進国」。「経済成長」は幸せを導くのだろうか。もちろんサンダウェの人々も市場経済と切り離されて暮らしているわけではないので、変化は訪れるだろう。でも、外からの強い力によって、彼らは変わりたいと思うだろうか、というのが最近の疑問である。『放ったらかし』の中から生まれてきた彼らの生活から学ぶことがいろいろありそうだから。

 ここに取り上げられなかったけど、畑に勝手に生えてくるおいしいニセゴマの話など、まだまだおもしろい話がたくさんある。村人たちと信頼関係を築けた八塚さんだからできたフィールドワークであろう。



『タンザニアのサンダウェ社会における環境利用と社会関係の変化』
-狩猟採集民社会の変容に関する考察-
八塚春名 著  
京都大学アフリカ研究シリーズ 011
発行:京都大学アフリカ地域研究資料センター




  ☆このお話はわたしのブログ「タンザニア徒然草」にアップしたものを再構成したものです☆

                (2012年6月15日)
 


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