(0) ジブラルタル。スペインのアルへシラスからタンジェに向かって船出すると、左側に見える。18世紀から交通の要所(防衛上)としてイギリスが手放さない(スペインの返還要求に応じていない)。またモロッコ側のセウタ、メリリャはスペインが手放していない(モロッコの返還要求に応じていない)。711年アラブ軍を率いたターリク将軍が、この海峡を渡ってイベリア半島に攻め込んだ。ジャバル・アル・ターリク(ターリクの山)がジブラルタルの語源と言うのは有名な話。 |
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(1) タンジェの港脇の街並み。20世紀前半は国際管理都市とされ、フランス、スペイン、イギリス、ドイツなどがそれぞれの租界を持っていた。港から出た海岸沿いの通りに残っている古い建物はそのころの面影を残す。 |
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(2) タンジェからティトゥアン経由で、約100km南下したところに小さな町がある。シェフシャウエン(通称シャウエン)で、15世紀末のグラナダ陥落後、アンダルシアのムスリムが逃げ込んできたという。20世紀前半はスペイン領になっていたこともあり、アンダルシア風のメディナが売りで、白が基本で青をアクセントにした街並みがメルヘンチックで女性の人気がある。ただ近郊の農村が貧しく大麻の栽培が盛んで、それを目指すヨーロッパ人の若者も多いと聞いた。 |
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(3) ティトゥアンのメディナはシェフシャウエンのそれと同じくアンダルシアから逃げてきたムスリム主体に造られていて、アンダルシア風と言われる。世界遺産になっている。丘(カスバ)に登って眺めると、シェフシャウエンより大規模なのが分かる。 |
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(4) フェズの旧メディナ(フェズ・エル・バリ)は世界遺産になっているが、その入り口に当たる最大のブージュールド門。メディナの外側から見るとモスクのミナレット(尖塔)が見え、また名物の「水売りおじさん」が見えるだろうか?(赤い衣装) |

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(5) フェズの新メディナ(フェズ・エル・ジェディド)の一角にあるメラー(ユダヤ人地区)。貴金属細工店が多い。かつて15世紀以降、モロッコの大きな都市にはメラーが存在したが、イスラエル建国後多くは移住してしまい、住人もほとんどアラブ人となり、見た目には区別がつかなくなった。 |

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(6) フェズ・エル・バリは間を流れるフェズ川で西のカラウィーン地区と、東のアンダルース地区に分けられる。アンダルース地区の中心のアンダルース・モスクはアンダルシア出身者のために建てられたという。この地区に入ると観光客も土産物屋も少なくなる。 |

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(7) フェズのメディナの目抜き通りの喧騒、人込みはすごいが、ちょっと横道にそれると、袋小路になる住宅区は静けさが漂っている。子どもたちが遊んでいたり、ときどき女たちが通り過ぎる。 |

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(8) メクネスのランドマークになるマンスール門。メディナと王宮の地区を分けている。「北アフリカでもっとも美しい」と言われているようだが、期待したほど感動しなかった。馬の糞尿の匂いが漂っていたからだろうか。 |

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(9) メクネスのメディナはフェズに比べると小さく分かりやすいはずなのだが‥、迷ってしまった。小道の奥に見えるのはグラン(大)モスクのミナレットなのだが、近づくとそこら辺はスークになっており、距離感覚を失い、すぐ隣にあるはずのブー・イナイア・マドラサにたどりつけなかった。 |

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(10)ローマ時代の遺跡、ヴォルビリス。世界遺産に指定されている。メクネスの郊外30kmの所にあり、ムーレイ・イドリスの町のすぐ近く。この遺跡に着いたとたんに大雨に降り込められ、びしょ濡れになり、粘土質の道に靴を取られ、往生した。あまりきちんと保存する意欲がないように感じたのは、たまたまか? |

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(11) ムーレイ・イドリスの町。モロッコ最古の王朝イドリス朝の始まった場所。二つの丘にへばりつくように町がある。丘の上からの遠景が定番である。雨のせいもあり、出歩く人の少ない静かな町だった。ここで初めてしつこいガイドと会い、喧嘩になった。ヴォルビリスでずぶ濡れになった直後だったから、私に余裕がなかったからかもしれない。 |

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