タンザニア隣国情報



モザンビーク



1.正式国名:モザンビーク共和国(Republic of Mozambique)

2.首都:マプト(Maputo)

3.元首:アマンド・グエブザ大統領(Guebuza)2004年12月当選。

4.独立:1975年6月25日(旧宗主国ポルトガル)

5.人口:1,769万人(2002年)

6.面積:802,000平方キロ

7.言語:ポルトガル語が公用語。民族語としてマコンデ、マクア、ショナ、セナ、シャンガーン語など。

8.通貨:モザンビーク・メティカル。2005年1月現在US$1=MT18,340。

9.ビザ:日本人には必要。ダルエスサラームのモザンビーク大使館(Garden Ave.)で取得できる。シングル$40、マルチ$60。所要3~4日(追加料金を払えば早くもらえる)。写真2枚。

10.日本大使館:マプトにある。

11.モザンビークへの交通:
(1)空路:ダルエスサラームからペンバ経由でマプトへ直行便が飛んでいる。他にヨハネスブルグ経由も可能。
(2)海路:定期航路はないが、ダルエスサラームから、ベイラ、マプトへ可能だろう。
(3)陸路:ムトワラからルブマ川を渡って入ることは可能。

12.主な見所
(1)ペンバ:北部のビーチリゾート。
(2)モザンビーク島:世界遺産となっている。スワヒリ都市国家にポルトガルの影響が色濃くかぶさっている。
(3)ベイラ:中部の港町。人口第二の都市。昔のソファラ(Sofara)の地域。
(4)マプト:首都。旧名ロレンソ・マルケス。美しい港町。

13.簡単な紹介
 ポルトガル植民地時代に始まったFRELIMO(モザンビーク民族解放戦線)の独立闘争、独立後の南アがバックとなったRENAMOとの内戦と、長期間の内戦で地方の農村は荒廃し、地雷の埋められている地区も残っている。1992年の内戦終結と共に、復興が進んでいる。

★追加情報★モザンビーク島  

☆写真集☆

 
(1) 旅の出発はペンバの町。北部のペンバは美しいビーチで知られる。内戦の惨禍を受けず、陽気で開放的な南国の町である。女性の服装も明るく派手だ。ビーチで泳ぐ土地の人も多く、タンザニアとは違う。マコンデ彫刻の彫師の店も3軒あり、スワヒリ語が通じる。タンザニアによく出かけているのだろう。ただそのせいか、彫刻もダルエスサラームの店に並んでいるものと大差がないのが残念。 ペンバのビーチ 
(2) ペンバからモザンビーク島(イーリャ)へ向かう道路は完全舗装で、状態はいい。440kmを5時間で走る。 道路沿いに家が並んでいるのは内戦(地雷埋設)の影響か?モザンビークで最も人口の多いマクア人の農村が殆どで、ムスリムが多数派である。途中に大きな町がないので人口が多い感じはしない。 マクア人の村 
(3) 1967年に建設された本土とイーリャを結ぶ橋。全長3.6kmの1車線で、途中所々退避所がありすれ違う。現在、改修中。間の海は浅く、底が上から覗ける。舟の水路もついている。引き潮時には立って釣りをする人の姿が見られる。 イーリャと本土を結ぶ橋
(4) ヴァスコ・ダ・ガマの来寇(?)記念碑。コロンブスの500周年記念祭と同じ発想か?そう言えば、イーリャにあるの銅像は、名前が削り取られていた。ポルトガルの植民地支配は最近まで続き、残酷な行為も知られている。 イーリャの十字架"
(5) イーリャのストーンタウン。改修が済んで美しく復興した家もあり、また未だ廃墟が剥き出しの空家もある。全部復旧すれば、きれいな町になるだろうと思うが、往時も全てきれいだったわけではないだろうと思う。 イーリャのストーンタウン
(6) 16世紀に建設され、オランダやオマーンの攻撃に耐え抜いたサンセバスチャン要塞。中には教会が2つもあり、また大きな天水の溜池、寝室、集会場など、多数の人間が生活できる空間が残されている。修復はまだまだで、日本政府の資金がつくという噂を聞いた。 サンセバスチャン要塞
(7) 南欧風(?)の彩りをもった漁村にダウ船(漁船)が入ってくる。 魚網を繕っている男たちもいたが、殆どはおしゃべりする老人、踊る女たち、サッカーに興ずる若者の姿が多かった。 イーリャの漁村
(8) 解放戦争とその後の内戦の結果、膨張した全くのアフリカ風の家々の並ぶマクティ・タウン。マクティとは椰子の葉のことで、草葺の家である。。水の出る日は屋根の上に洗濯物が干してある。生活排水のことを考えると、コレラなどの流行が怖い。人口の密集が目立った。 イーリャのマクティタウン
(9) 私たちが泊まったホテルEscondidinho。古い民家を改装した雰囲気、家具の趣味もいい。オーナーはイタリア人。中庭は小さいプールになっている。ツインで$50ほど。 イーリャのホテル




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