タンザニアの片隅で | 鈴木 沙央里(すずき さおり) | ![]() |
第5回 私のつぶやき、彼らのつぶやき
旅行業のこの仕事では、日本人のお客さんには、同じ場所でも、いくつかのホテル、サファリでも複数のロッジやパターンでのお見積もりを求められることが多い。そして時々あるのは、予定していた旅行をもしかしたらキャンセルしなければならないかもしれない。1人が来られないかもしれない。その「もしも」の状況になったら、例えば支払ったお金はどうなるのか、何日前までに最終決定をしなければならないのか、差額分を別の機会に使えるのか、などそういった、「もしも」の場合についての問い合わせを受けることである。こういった場合、その度に手配先のホテルに問い合わせをすることになるのだが、私はここで「感覚の違い」を感じるのだ。 どういった可能性があるのか事前に知りたい。そしてそこから判断したい。これは日本人としては、納得できる当然?の感情なのだが、タンザニア人相手に説明するとなるとちょっと難しい。 観光客相手の大きなサファリロッジなんかだと、何日から何日前までの変更・キャンセルは宿泊料の何%というように、しっかりとキャンセル・変更料の規定がきまっているので、まあそれを伝えればいいのだが、そうではない場合や、ちょっとした変化球的な質問になると、これがなかなか難しい。 そもそも、「もしこうなってしまった場合どう対応できるのか、どういった可能性があるのか知りたい」という感覚自体を理解してもらえないのだ。
例えばこの事実を、サービス精神の不足、とも捉えられるかもしれない。せっかくお金をかけて旅行に出かけるのだから、頼むほうとしてはベストな選択をしたい、というのは最もなことであろう。また出張などでのホテルやフライト手配をされているの日本人の方にとっては、経理処理のために、複数の見積もりをとらなければならない、また限られたスケジュールの中で、より効率的にこなすために、OOとなった場合の状況を事前に把握しておきたい、というように、そうせざるをえない背景もあるだろう。 状況が複雑なときは、日本人とのつきあいの長い、日本人的感覚をより理解してくれるタンザニア人スタッフに交渉をお願いするときもあるが、彼でもこちらが意図していることを相手に理解してもらうのにけっこう時間がかかっていたことがあった。やはりことが起きる前に、あれこれ考えをめぐらす日本人的感覚、というのはタンザニア人には理解しがたいようである。
逆にタンザニア人は、こちらからみればかなり「楽観的」、そう思える人が実に多い。私に言わせれば、「その自信は一体どこからでてくるの?」「何を根拠にそんなに自信たっぷりなの?」と言いたくなるほどである。 商売にしても、若いあんちゃんの女の子へのアプローチにしても、人生に対しても、タンザニアの人々の中には、「なんとかなるさ」「うまくいくさ」という精神が、一環して流れているように思う。これがまさに、観光客向けのTシャツなんかにでかでかと書かれている、Hakuna Matataハクナ・マタタ(問題ないさ)精神である。そういえば、これに相当するスワヒリ語も多い気がする。 こうなってしまったら…?と悪い結果を考えない、先案じをしない、ということは、同時にそれだけ、「もしも」のときの対応の遅れを招く結果になるかもしれない。実際に、品物が切れる前にそれを補充しておく、といったような管理の習慣もうすいように思える。 ただ、あまり眉間にしわをよせず、「なんとかなるさ」と気楽にかまえている彼らを前に、一方で私は、ケニアでホームステイしていたときも、ここタンザニアでも、それはどういう意味だ?ときかれる日本語(無意識のうちに、私がしょっちゅう口に出している言葉)が「どうしよどうしよ」だったりする。 タンザニア人の楽観さはやはり理解できん、と思いつつ、私も「どうしよう」や「あーなったら、こーなったら…う~ん」の前に、「大丈夫さ!」のつぶきがでてくればいいのだがな~と思ったりもするのだ。 (2008年1月15日) |